経歴書


加納時
(かのう・ときお)昭和10年1月5日生まれ)


学校関係

  目黒区立油面小学校、芝中学校、芝高校を経て
昭和32年 東京大学・法学部(私法)卒業
昭和37年 通信教育にて日本マネージメントスクール経営数学コース修了
昭和39年 慶應義塾大学経済学部を通信教育課程にて卒業
その後、東京大学・教養学部非常勤講師(国際関係論)、
慶應義塾大学・特別招聘講師(国際環境論)等を勤める
この間、ハーバード大学、東京大学工学部等で講義
平成6年、ペンシルバニア大学ウォートンスクール インターナショナルフォーラム修了
学校法人芝学園理事


職業

  昭和32年、東京電力入社、営業計画課長、省エネルギーセンター副所長、営業部副部長、科学万博電力館長、関連事業部長等を経て

平成元年、取締役原子力本部副本部長に就任、以降、代表取締役常務、副社長を歴任
平成9年12月、同社役員を退任
同月、「地球環境・エネルギー総合研究所」を設立、理事長に就任、(現在に至る)

<国際機関、委員会、審議会等の経験>(ここをクリック!写真=IAEAブリックス事務局長と)
ウラン協会(UI、ロンドン) 日本人初の会長、現在名誉会員
世界環境経済人会議(WBCSD、ジュネーブ)副会長
太平洋経済協力会議(PECC ) 日本委員会委員/同鉱産物・エネルギー委員会(MEF)名誉委員長(今日に至る)
国際応用システム解析研究所(IIASA 、オーストリア)名誉研究員(今日に至る)
国際エネルギー機関(IEA 、パリ)専門家会合副議長
故大平正芳総理の政策研究会・研究委員
中央環境審議会、資源調査会、電気事業審議会、化学品審議会等の委員、専門委員
社会経済生産性本部・エネルギー特別委員会委員
経団連環境安全委員会地球環境部会長
経団連自然保護基金運営協議会副会長
など、約40の役職を務める


所属団体

  慶應連合三田会(常議員)
慶應義塾全国通信三田会(会長)
慶芝会(副会長)
原子力三田会(副会長)
交詢社(社員)
東京大学緑友会合唱団(元常任指揮者、現名誉指揮者)
東京大学 東京銀杏会(幹事)
芝学園同窓会(会長)
芝学園PTA (元会長、現顧問)
芝の会(元会長、現顧問)
芝赤門会(会長)


主な著書

 

良い加減のススメ。(日本電気協会新聞部)
崖っぷち日本(ミオシン出版)
日本のエネルギー戦略(東洋経済選書)
エネルギー最前線(NHKブックス)
なぜ「原発」か(祥伝社ノンブック)〜平成元年度、エネルギーフォーラム普及啓発賞受賞
90年代のエネルギー(日経)
日本の国益(FAIR)
 など25冊



テレビ

  朝まで生テレビ(テレビ朝日)、世相を斬る(フジテレビ)、
スーパーモーニング(テレビ朝日) ほか
NHK、日本テレビ、TBS、テレビ東京などに多数出演


その他

  平成元年度 外務大臣表彰
「第1回、大平正芳学術研究助成」(共同研究)
1997年 サラマンカ(スペイン)名誉市民」等を受賞
2003年 世界原子力協会(WNA、ロンドン)
原子力の世界的平和利用に関する特別功労賞
   等を受賞



自由党参院比例区「加納時男」のプロフィール


いつも明るく誠実に『元気の出る社会』を目指す『時の男』

産業界のトップから政治の世界へ
加納時男さんは、1997年12月の「地球温暖化防止京都会議」終了直後、「東京電力副社長」を辞め、「地球環境・エネルギー総合研究所」を設立。同研究所理事長に就任。
・『美しい地球』『夢ある政治の実現』を掲げ、『元気の出る社会』の創造を目指して、「日本ばかりではなく、世界のため、地球のために『経済・環境・エネルギー問題』を、国政の場で考え、解決のための行動をとる」という固い決意のもとに、政治の場へ打って出た。
・これは、かねて自民党から経団連に対し「環境・資源問題で専門家を」、という強い出馬要請があり、熟慮のあと受け入れ、決断したもの。

『深く・幅広い多様な』人柄とその視野
加納時男さんは、昭和10年1月東京生まれ。芝高校から東京大学法学部を昭和32年に卒業、東京電力へ入社。そして「営業・省エネルギー・原子力・環境」部門を中心に担務し、前述のごとく副社長まで務め上げた。
・その「視点は22世紀まで見据え」、その「視野は産業界ばかりではなく市民の目線から広く社会全般に及び」、その「広がりは全世界に及ぶ」というまことに深く広く、まさに多岐にわたっている。

国内外の環境・資源・エネルギ−の分野で活躍
 ・国内においては、「中央環境審議会委員」「経団連地球環境部会長」「アジア太平洋経済協力会議委員」、また国際的にも、アジアで初めての「世界ウラン協会会長」をはじめ、「世界経済人会議副会長」など日本人としてはまれな要職も数多くこなし人脈を世界に広げた。

『人がいやがる仕事』を率先垂範
・こうした本来業務のかたわら、昭和39年に「慶應義塾大学経済学部」を通信教育で、忙しい業務の中6年間をかけたが、「総代」で卒業。
・昭和40年代中頃から早くも「石油危機」を予測し、率先して「省エネルギー問題」や「消費者運動」の高まりに取り組み、身を挺してこれらの重要課題を克服。昭和60年茨城県つくばで開催された「科学万博つくば´85」では、電力館館長として、同博覧会を成功へ導いた。
・博覧会終了後は、一転して「情報通信社会」への早期取り組みと「新規先端事業興し」を行い、電力会社内を活性化させる役割を果たした。
・さらに、昭和から平成への過渡期においては、盛り上がりを見せた『反原発運動』に対し、「朝まで生テレビ」などで産業界の論客として活躍し、原子力の「分かりやすい市民広報と国際的広報の展開」などに尽力した。
・このように、どちらかと言うと『人がいやがる』『初めての仕事』を、『天性の明るさと誠実な人柄』で、『いつも逆境はチャンス』『周囲を味方に』を合い言葉に、多くの難関を楽しんで、乗り越えてきた。
・この間、「大平内閣」では、総合安全保障・エネルギー・省エネルギー問題の分野で、政策ブレーンの一翼を担務。ここで“政治のダイナミズムを体験”したという。

市民として、文化人としても、積極的に行動
・ちなみに、加納時男さんは「市民として文化人として」も、そのネットワークや活躍ぶりは徹底している。

叔父は、「藤山 一郎さん」
・叔父は、あの国民的歌手で、国民栄誉賞の「藤山一郎さん」(実母の弟)。家族は夫人と2男2女(いずれも既婚)、5人の孫、という多産系?
・こどもや孫たちも「音楽とスポーツで得意科目を各一種目」が教育方針。

ピアノ・三味線もアイススケ−トも得意
・スポーツも登山、アイススケートや水泳も軽くこなす。但し、ゴルフは1ラウンド100前後で年間数回プレイが現状。
・語学は英語・フランス語を駆使、という多才。

約束は守る−「肩書き」ではなく「人間性」を尊重
・加納さんのモットーは、「加納時男後援会会長の竹内 均東大名誉教授」 を心から尊敬し、『勤勉・正直・感謝』『した約束は必ず守る、出来ない約束はしない』、つまり他人への『感謝と深い思いやり』を重視。

<出逢い、ふれあい、巡り合い>
・加納さんは、「肩書き」で歩くことを好まない。『常にふつうの市民、人間』として誰とでもどこにおいても、いつでも「人と人の心と心の交わり――ヒューマンネットワーク」を大切にしている。
そのキーワードは『出逢い、ふれあい、巡り合い』。

地域や仲間をいつも大切に
・このような飾らない性格から、加納さんは、地域や学校・同窓会、次世代の教育活動にも寸暇を惜しんで今日まで積極的に取り組んで来ている。
・「東京大学講師」「慶應義塾大学招聘講師」をはじめ、母校の「芝学園同窓会副会長、元同中学・高校PTA会長」「東京大学銀杏会幹事」「慶應義塾大学・連合三田会常議員・同全国通信三田会会長」「科学万博つくば´85 電力館同窓会長」など、いずれも完璧にこなす。

後援会のメンバ−も多様・多彩;女性グル−プも多数支援
・したがって、今回の「加納時男後援会のメンバー」も、職業・年齢など実に多様で多彩である。
・電力界、実業界や政界の人ばかりではなく、音楽家、作家、評論家、キャスター、各種女性の会、香道(香り)、書道、日舞、幼稚園から大学の先生・教授、弁護士、さらには「サッカーのサポーター」などまさに千差万別。
・いずれも長いつきあいのもとで、真の仲間として 「加納時男」その人を支援する集団であり個人である。すでにその支援者は150人余に達する。
・女性や若者の支援者が多いのも“加納人脈”の大きな特色の一つ

仲人役も40件以上
・仲人も40件以上と、善男善女の新たな結び付け役もこなし、上述の東京大学・慶應義塾などの「大学講師」、「つくば博覧会」「各種異業種研究会」などを通じて沢山の次世代の「親代わり」「兄貴代わり」と頼りにされる。

交通遺児にも献身的活動
・さらに、本人はこれまで黙して来たが、全国の「交通遺児」たちの『足ながおじさん』として、印税や講演料などの相当額を「貢献」。
・「福祉」活動を、「行動」で「黙って実践できる人」、である。

夫人も家族も納得。可能性を秘めた『時の男』TOKIOの登場
・「政治へ出たら離婚」と、かねて夫人から言われてきたが、今回は「これまでお世話になった環境・資源・エネルギー問題の分野で、皆さまに多少でも恩返しするのが自分たちの使命」、と夫人も家族も出馬に納得、応援団へ

可能性を秘めた男、加納時男。


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